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震災地レポート / 2015年05月03日(日)

昨日、会長に会長の知人よりメールがあり、震災後ネパール入りしての市中の様子がレポートされています。 以下転載します。 --------------------------------------- 昨日5月1日(金)のトリブハン国際空港からTG319便で入国しました。以下、メモの状態ですが‘… 1.入国書類 写真 ・タイ航空機内で、ビザ申請書、入国カード、税関の書類を配布 (ネパール人とネパール人に似てる人はビザ申請書をもらえまえん。私もスチュワーデスさんに、Visa appliation form,please と主張しました ・TGの到着時間帯は、

入国審査は混んでいませんでした。 15日間シングルで、1万円を渡すと、電卓で計算しアメリカドル紙幣で54ドルのおつり ・機内預けのターンテーブルは、すべて大混雑 自衛隊と一緒の飛行機でしたが、ネパール人のみならず、各国の救援隊の援助物資も多い。 ・飛行機の中は、観光客はいないようでしたが満席。 日本人は自衛隊隊員、NGO、医療ボランティアなどです。 ・空港内は、通信・電気も問題ありませんでした。 【重要】本日、カトマンズ市内に行きますが、バクタプールの情報では、建物の崩壊のみならず、観光客が出国、従業員が故郷へ帰り、水、食料、電気もないので、カトマンズ盆地内のホテルは営業していない、とのこと。 住民のためのキャンプ、避難所は、避難住民のため、スペースや水、食糧、テント等は、宿泊先が確保できない場合は日本から持参すべきと思います。 銀行は1日に数時間あけますが、基本的に災害支援とは関係のないオフィスは今後2週間休み。 2.空港からの移動 私は知人の知人が、オートバイに迎えにきてくださり、バクタプールまで30分で移動。 空港内駐車場で、タクシーは停まっていないようでした。マイクロバスは停まっています。 3.宿泊 私の場合は、バクタプールの古くからの知人が、「家を自分の家を自由に使ってください」といわれ、電気や水、トイレ、wifiが使える環境にいます。 4.移動 複数の人に聞いたところ、ラクソール、バイラワ方面からの道路が開け、カトマンズからタライの人々は故郷へ移動し、ガソリンもカトマンズ盆地内に入ってくるとのこと。 仕事や学校が休み(今後2週間)なので、バスは本数は極端に少ない印象です。 ガソリンの値段は変わらず、高騰していないが、列に並ばなければならない。 私の場合、オートバイ、車などの車両、知人から手配してくれるので、徒歩を覚悟していましたが、本日2日は、カトマンズの一部の病院や配属先だったゾルパティの障がい者施設を訪問します。 カトマンズの病院には、Handicap Internationalから理学療法士や作業療法士が海外からTrauma centerでボランティア活動を始めていると聞き、本日夕方、訪問予定です。 支援が順調であれば、ダディンやゴルカ(ベシサハールへ行く途中のトゥレトゥレからパルンタールへ行きます。 昨年の年末に、カトマンズで大型オートバイをレンタルして、ゴルカの元調整員や学校を訪問し、同日、夕方にはポカラへ到着しましたが、今回は道路事情や夜間の移動を避けるため、地方への移動は、カトマンズでの支援活動と地方の安全性などの情報をいれてから判断します。 5.バクタプール市内 もともとコミュニティが強靱で、1年に3回ほど災害に備えた練習や打ち合わせ、確認をしていた。 インドの小規模のボランティア団体がマスクなどを広場で配布していました。 中国が大人数を派遣。支援団体がテントをバクタプール市街各所で設置している。 (台湾も入っています。中国も台湾の地震を経験しているので、動きが迅速。台湾はきっと非公式で観光で入国しているのではないでしょうか。根拠のない推測です) 中国チームは、ドローンで地図を作成していました。被害状況やキャンプの位置を把握するのに有効ですね。 3m先くらいの目の前でドローンは初めて見たのですが、人の手の上に着陸しました。 バクタプールの世界遺産の王宮広場は、建物のいくつかは崩壊、入場料を払う門も崩れてありません。 崩れたレンガは、古く貴重なもので地元の老若男女に混ざって外国人観光客と思われる人もレンガを片付けていました。 3時間徒歩でまわりました。 テントやキャンプ、避難所がバクタプール各所にあります。 バクタプール市街ですと、Ward No1からNo5の南西部や古い建物が崩壊しています。 軍や警察だけでなく、バクタプール内、あるいは外からボランティアが素手やレンガで片付けています。 (軍手を複数持参しましたから、ネパールの人にお渡しします。また、がれきの上を歩きましたが、日本建築に比べると釘がほとんどなく、木造もほぞを使っています。) 災害直後から、バクタプールの大金持ち、そうでない人も寄付をしており、混乱はありません。治安もとてもよいです。ものが置かれて人がいなくても、なくならない、ような気もします。コミュニティの一体感が感じられます。 今は、数十人から数百人の規模の避難所が各所にあります。 災害直後は、数百人から1000人以上の避難所があったそうですが、家に戻れる人や親戚の人のところへ行き、規模が小さくなっています。 それでも、夕食時には食事に集まるので、パタンゲイト近くの避難所は夕食を2000人分準備するとのことです。 キャンプも見ましたが、身動きのとれない高齢者を数名で介助していました。 貧富、カースト関係なく同じものを食べています。 安堵や笑顔も見られますが、よく伺ってみると、夜は眠れないとか、私が感じなくてもこちらの方は「今、余震があった」と敏感になっています。 開けている店の主人に、いつから開けてるの、と尋ねると、ビスケットやジュースを売っている普通の小さなお店ですが、「最初から閉めずに開けている」と話していました。 開いている店の周りには、人がすわり話し込んだりしていました。 避難所には、紙で英語やネパール語で、避難してる人数、必要な援助物資が書かれていました。 ネパールはコミュニティが残っている地域、村落、バクタプール、パタン、キルティプールなども住民が助け合っていることが想像できます。 カトマンズはときどき盗難があり、警察が数十名逮捕している、と聞きました。 6.被害の大きい地域、5月1日に知人に聞いた情報です。 1)ラムジュン 2)ダディン 3)ゴルカ 4)カトマンズ 5)シンドゥパルチョウク 6) カブレ 7)ドラカ 自分のメモが読めず ヌワコットか? 今、ネパール時間朝6時前です。 今日はカトマンズをまわり、情報収集や地方を回ったほうがよいか、医療ボランティアとして活動するか、まだ、情報不足で判断できず、ネパールの人々からも助言していただき、5月7日まで活動いたします。 JECSとしては、親を失った障がい児、障がい児・者で生計維持者が死亡した家族になにかできないかと考えています。 -------------------------------------- 特にバクタプルの詳細な様子がレポートされております。 貴重な情報有難うございます。 ---by kichi---     ↑


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